続・宇宙人は存在するか

かつて、宇宙人は存在するか - idesaku blogにおいて、宇宙人*1が存在する可能性は十分にあるだろう、ということを書いた。しかし、最近読んだ盲目の時計職人において、その論証はおかしいとドーキンス先生にdisられてしまった。
俺が行った、そして多くの宇宙人存在肯定派が主張する理論は、簡単にいえば次のようなものである。

「知的生命体が発生する確率はとんでもなく低い。しかし宇宙はあまりに広大で、かつ宇宙誕生から膨大な時間が経過しているから、その程度のとんでもなさは発生し得る」

発生確率が1億分の1だとしても、母集団が十分に大きければ、例えば1,000億あれば1,000回は発生するだろう、という理屈だ。

しかし、ドーキンス先生に言わせると、これは誤りなのだ。

この論証は「地球で起きたことは地球外でも起きえる」という暗黙の前提を置いている。しかし、その前提こそがまさに論証しなければならない事柄である。求めるべき結論を前提においているのだから、なるほど、破綻していると言われても仕方がない。

もっとも、ドーキンス先生は論証自体は誤りだが、言っていることはおそらく正しいだろう、というスタンスであった。累積淘汰という強力な進化のメカニズムさえできれば、あとは時間が解決してくれると考えているようだ。

そういうわけで、俺も論証としての間違いは認めつつ、やはりスタンスは変えない次第。「地球で起きたことは地球外でも起きえる」という前提を置くことは論証として誤っているかもしれないが、「地球でしか起きなかった」と地球をむやみに特別視するよりも健全であろう。

*1:ここでは地球外知性体を指す。