ローレライ

終戦のローレライ」を読み終えたので、その足で劇場版作品「ローレライ」を観に行った。

終戦のローレライ」がすさまじい文章量を誇る本であるだけに、あれを二時間程度に纏められるわけがない。当然、相当なストーリー改変が入っているはずだ。Webでの評判は中の下といったところだし、この手の作品が原作を超えることなどまず無いので、大して期待もせず観にいった。まぁ、文章だとわかりづらい、潜水艦の三次元機動が見やすくなるといいなぁ、ぐらいに思っていた。



・・・こんなもんかな?

ストーリーはいろいろ手入れられてるし、一人で原作の二人分の役割を兼ねている登場人物が何人かいる。もっとも本筋は見失ってないし、これは許容範囲だろう。

やはり劇場版での問題は、仕方が無いことかもしれないが、人物描写、特に心理描写が浅くなってしまう点だろう。原作では心を熱くしたあのセリフ、あの行動が、劇場で聞くと非常に違和感がある、というかイタい。それを言わせるに足る心の動きが見えないため、あまりに唐突に聞こえる。

「俺の生まれたところを見せたい」って、征人、おめーパウラとまだ会話すらろくにできてないのに何故そう思う?パウラにしたって、命をかけて伊507を守ろうとする動機が不明。掌砲長のアイスクリンで買収されたとでもいうのか。この二人を生かそうとする伊507乗組員の思いもどこか白々しい。そこまでの人間関係を醸成するような、決死の行動の理由を裏付けるイベントは見当たらない。そんな感じの、見た目だけ熱い言動が次々と出てくるため、もう冷めるし白ける。

でも、見所はある。CGを駆使した戦闘シーンは迫力あった。潜水艦vs潜水艦ってのがほとんど無かったのがちと残念だが。また、パウラ役は非常にハマってたと思う。メイクの効果も手伝ってか、どこかハーフっぽい容貌で、ドイツ人と日本人のクォーターであるという設定にぴったり。演技がつたないところも、パウラがそもそもドイツ生まれのドイツ育ちであるため、祖母に日本語習ったといってもそうそう流暢にはしゃべれまい、と好意的に解釈できる。

一番驚いたのは原作での重要人物、フリッツ・S・エブナーが登場しないこと。二番目に驚いたのはエンディングのスタッフロールにフリッツ・S・エブナーの名前があったこと。いったいどこに出た?よくよく落ち着いて思い返してみると、パウラの回想シーンで、実験器具につながれて苦悶している少年が映った。あれがフリッツか・・・パンフレットによると、劇場版ではナチスドイツの人体実験で死んだことになっているらしい。

ある意味涙が止まらないのは、清永の死に様。あまりにも無為な死だ。自業自得で同情する余地がない・・・。

えー・・・オススメできるかどうか微妙。なまじ原作を知っているだけにアラばかり目立ってしまうが、予備知識ゼロならそれなりに楽しめるのかもしれない。うーむ・・・金と時間が余ってたら、観にいってもいいんじゃね?ぐらいの評価にしておく。