マッカンドルー航宙記

ニュートンアインシュタインと並び称される、太陽系随一の物理学者にして変人、アーサー・モートン・マッカンドルー博士。彼は宇宙の神秘や新たな理論を求めて、相棒の船長、ジーニー・ローカーと共に、今日も太陽系を所狭しと駆けめぐる。

ハードSFの皮をかぶったスペースオペラ(帯にも「ハードSF+スペース・オペラ」とある)、チャールズ・シェフィールド『マッカンドルー航宙記』読了。短編集である。

マッカンドルー博士は、物理バカである。理系の世界には必ず何人かいるタイプの人間。自分の興味対象が現れると、そこに夢中になり、全身全霊で打ち込んでしまい、周囲のことが完全に頭から追い出されてしまう。で、興味深い物理現象に遭遇すると、考え無しに飛び込んでいって危ない目にあったりするので、ジーニー船長のサポートが必須なのである。人間関係や政治についても無頓着なので、そういった面からもジーニーの助けが必要だ。ジーニーがいなかったら、マッカンドルーは1話につき一回は死んでいる。

この作品で有名なのは、間違いなくマッカンドルー式慣性相殺航法であろう。これに基づいて作られた宇宙船は、有人でありながらなんと100Gで加速できるのである。原理も非常に簡単で、中学生程度の物理の教養があれば難なく理解できる。宇宙船の頭に圧縮物質からできた非常に重たいディスクを付けておくのである。どのくらい重いかというと、100Gの重力を発生するぐらいである。この宇宙船を100Gで加速すると、後方に100Gの加速度=重力が発生するが、船の先頭のディスクからも100Gの重力がかかるので、お互いに打ち消しあい、結果として船内は0Gに保たれるのである(物語では、だいたい0.4Gになるように調整している)。無慣性なのではなく、慣性を打ち消す航法なので、「無慣性航法」などと呼ぶとマッカンドルー博士に怒られる。

ワープや超光速航行や重力制御装置を安直に出さず、こうした航行法を考えるところはさすがハードSFだと思う。しかしこの相殺航法では、100Gも発する何兆トンもの質量を動かすのに必要な莫大なエネルギーをどうやって得るのか、という大問題を解消するために、真空からエネルギーを取り出すなどという非常に大味なことをやっており、それじゃここまで考えた意味が・・・と絶句してしまう。だからスペースオペラだというのである。俺は好きだが。

シェフィールドは、元々学者だったこともあって、おそらく書こうと思えばいくらでも現実の物理に厳密な本を書ける。ただ、ちゃんと現実の理論に基づいて書くべきところと、SFとしてのウソを書くところをかなり厳密に区切っているのだ。その区切りさえわきまえていれば、あとは話を盛り上げるためにでかいハッタリをぶち上げても全然問題がないのである。そのへんの思い切りの良さが、本を読みやすく、数々の驚きの科学理論を登場させて話を面白くしている。

スペースオペラとして読んでまったく問題なし。ハードSFが苦手なら、小難しいところは読み飛ばせばいい。それでも物語は追える。実に面白い本なので、そんなことで避けてしまうのはもったいない。