太陽の塔

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

読み始めて4ページ目で俺は悟った。「これは読んではいけない本だ!」しかし、この短期間であっさりのこの本のペースに飲まれてしまった。ダメだ、止めることができない。もはや読み通す以外の道は俺に残されていない。

森見登美彦太陽の塔」読了。この本については、次のサイトを見るのが良いと思う。
http://media.excite.co.jp/book/daily/thursday/013/

・・・と、余所のサイトに誘導したら、俺が書くことがほとんど無くなるなぁ。

京都大学に在籍する非モテ野郎どもを主役に据えた、ねっとりとした男汁にまみれた自虐系小説である。もうね、お前は俺かと。非モテ理系男子としての道を驀進し、浮いた話もほとんど無く、ただひたすら学友たちと部屋にこもって酒を飲んだり電源系ゲームと非電源系ゲームで盛り上がったり与太話に興じたり、そしてたまにプログラミングしたりして、それがこの上なく充実していた孤高の大学生の俺および周辺コミュニティが持っていた、あの独特の空気がやけに生々しく描写されていて、笑って良いやら嫌悪してよいやら反応に困る。この本に登場する男たちすべてが理系ではなかろうが、間違いなく理系男子が持ちうる生活パターンである。Googleで「理系男子」のキーワードで検索すると、上記したサイトがトップに出てくるのだから間違いない。しかし、電車で読みながら顔がにやつくのを止められず、横隔膜の痙攣を必死に抑えるところまでこの俺を追いつめた本はここ数年でこの本だけである。

彼らの「高度な思索」と様々な論議の、そのあまりの非生産性と無意味さにはもはや笑うしかない。そして問題は、俺も学生のころ友人達とそんなどうでもいい話で盛り上がったことなど一度や二度ではないということである。日本の将来を憂うよりも、メイドカチューシャの存在意義について語ったほうが楽しいのは言うまでもないが、得るものが皆無であることもやはり言うまでもない。

そしてクリスマスを唾棄し、クリスマスファシズムに大して果敢に抵抗運動を巻き起こす様など、俺が毎年12月下旬に自分のサイトで呪詛を書き散らすのとほぼ変わらない行動である。まったく他人と思えない。いや、さすがに自分の自転車に女の子の名前つけて愛でることはしなかったが。でも、自分のPCに名前を付ける人間(ホスト名とはまた別に)は何人かいたから、やはりあまり変わりないか?いかん、本の話をしているのか、自分と友人達の青春を赤裸々に綴っているのか、よくわからなくなってきた。

そんな一般ピープルから逸脱した彼らを描写する文章が、やけに堅苦しい文体で書かれていることがさらに笑いを誘う。そして、最後はちょっと良い感じの終わり方。覚えがありすぎてイタいことこの上ないが、それがまた面白い。独特のリズムにあっという間に乗せられること間違いなし。