フリーランチの時代
俺が追いかけている作家の一人、小川一水氏が短編を書いたというので、それが載っている短編集を購入した。短編のタイトルは、『フリーランチの時代』。
何か軽そうなタイトルで、実際にお気楽なノリなのだが、扱っているのは人類の進化であり、れっきとしたSFである。
火星で事故に遭った設営隊員が、火星に昔から住み着いていたエイリアンにより命を救われた。そのエイリアンは人間を「食べる」代わりに、それを超えた存在への作り替えを行う。蘇った人間は、意識はこれまでと同様であるが、体がナノレベルで見ると完全に作り変えられており、自然死を完全に克服した不死の体になっているである。事故や病気、飢えなどの不幸から完全に解放され、人類はもっと有意義なことに人生を集中できるようになる。
人間の体の作り替え、なんて話になると、その人間の自己のありようについてまた短編が一本ぐらい書けそうで、実際グレッグ・イーガンはそういうネタが得意であるが、この短編の登場人物達は重いテーマを考えることなく、案外アッサリと受け入れてしまう。
短編集『老ヴォールの惑星』のあとがきでも書いていたが、小川一水氏はこういう人類の進化について肯定的であるらしい。そして、俺も同類である。
人類の肉体が、偉大なる神がつくりたもうた完全無欠の芸術品だとは思えない。人間は、行き当たりばったりの進化による、できあいのパーツの不細工な寄せ集めにすぎない。肩こりや腰痛に悩む諸君、人類の肉体が完全であるならば、そんなもんに苦しめられるはずもないであろう。
だから、人類の技術力が、不便で脆弱な人体をより効率的なものに作り替えられるレベルにまで達すれば、今の体を捨てることになんらためらいはない。
ダグラス・アダムス『さようなら、いままで魚をありがとう』には、被造物への神の最後のメッセージ、というものが登場する。その内容は「ご迷惑をおかけして申し訳ございません(We apologize for the inconvenience)」である。まったくだ!
・・・なんの話だったっけ。あぁ、短編の話だった。面白かったです。まる。