単に努力することはある意味手抜きかもしれない

むしろ、「近道を探す努力」こそが正しい努力であって、

「近道や一発逆転を狙わないで地道な努力を積み重ねる」という姿勢が、

自分と周囲を不幸にし、

格差と貧困を生み出し、日本を衰退させてきた。

「地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

これはいいエントリ。

実は、地道な努力することはあまり難しくないのではないか、と思っている。
人間にとって一番難しいのは、きっと「頭を使う」ことだ。皆頭を使うことに慣れていない。自分で創意工夫するより、どこかの他人が決めてくれたプラクティスに乗る方が簡単で安心だ。

「近道や一発逆転を狙」うのは、頭を使う。分析力と判断力がいる。そのうえリスクも伴う。だから難しい。これに対して、地道な努力というやつは、とにかく訓練に没頭すればよいのだから、頭を使わなくてよい。楽だ。

だから、地道な努力を重ねることを推奨し、それを実践する人は立派ではあるものの、「考える」ことの面倒くささから逃げているのではないか、手を抜いて簡単な方を選んでいるのではないかとも思う。

・・・このエントリは、半ば自分への戒めとして書いている。自分で言うのも何だが、俺は地道な努力をするタイプである。しかし、なんというか、地道な努力ってやつには麻薬のような性質がある。だって、俺は勉強しているのである。訓練しているのである。積み上げているのである。努力している俺は昨日の俺より確実に成長している。それが嬉しい。だから安心できる。それに味を占めて、やめられなくなる。そうして得られる安心感に身を任せ、実はその1000倍のスピードで積み上げる方法があるのではないか、と知恵を絞ることから逃避しているのではないか。

思えば俺はエンジニアである。エンジニアは、地道な努力から人を解放することを生業とする。効率化は正義であり、近道をつくることが使命である。だから、こうした考え方は受け入れやすい。そう、受け入れることはできるのだ。後は覚悟の問題。