受託開発は情報財の旨みを殺す

熱すぎるエントリ。

ニッポンIT業界絶望論

情報という財の新しさは、ほぼ限界費用ゼロで劣化なく無限に複製できるということだ。

であるのに、受託開発の世界には、そういったエキサイティングな革命の歴史とはどこにも接点がない。
生産された財は、最も低水準なサービス財と同様、たった一人の顧客に届けられる。以上おわり。
情報財に固有の、限界費用ゼロで複製できる性質が活かされる余地はまるでない。

たった一人の顧客に届ける財なんて、サイエンス的にも、ケーザイ学的にも、古き良き製造業未満の存在じゃないか。

そんな考え方があったのか。受託開発は、情報財の高レバレッジという旨みを殺してしまうスタイルであるわけか。

受託開発は必要である。しかし、レバレッジという視点で考えると、いかにも分が悪い。それに、特定顧客だけを相手にしたクローズドなアプリケーション開発ばかりやっていれば、イノベーションもなかなか生まれないだろうから、それもまたレバレッジを殺す要因となりそうだ。

我々はどちらの世界に進むべきなのだろうか?

数多くのイノベーションを生み、驚異的なスピードで発展を続ける情報産業の勢いに乗っていこうと思えば、スピードに乗りにくい受託開発から離れるべきなのかもしれない。

しかし、この業界で仕事しているとわかるのだが、エンジニア全てが乗ってしまいたいと思うわけでもない。その日の仕事を淡々とこなし、それなりの給料を受け取ることができればよし、イノベーションなどむしろ迷惑、というサラリーマン的エンジニアも数多くいる。そういう人たちは受託開発こそ生きる道であろう。

要は棲み分けだ。ただ、棲む先を間違ったときは、いろいろ悲惨なことになりそうだ。受託開発がほとんどである日本のIT業界では、その世界が自分に合わないことが分かっていても離れづらく、結局居続けることになりがちだ。IT業界の人間がネットに不平をこぼしがちなのは、これでストレスを溜めてしまうのせいなのかもしれない。


2007/11/12、追加エントリ登場。

希望はとつぜんやってくる

俺は上で「棲む先を間違ったときは、いろいろ悲惨なことになりそうだ」と書いたわけだが、「ニッポンIT業界絶望論」はまさにそれに該当する人向けに書かれたエントリであったらしい。つまり、イノベーションを起こしたいけど、それに向かない環境に縛られあがいている人々。